ベトナムの日系レストランで働くには調理師免許は必要ない

先日、個室のお客様より呼ばれることがあり、久しぶりにお客様とお話をしました。 そのお客様は4名様の家族で、構成は父・母・息子2名(高校生・中学生)でした。 お父様とお母様からの質問が多かったです。何を話したかというと、料理の話から私の身の上話が大半でしたが、どうやら高校生の息子さんが海外で働く料理人を目指しておられるようでした。(はっきりと言われてませんでしたが) 高校生の息子さんが私の話に真剣に耳を傾けているように感じたのは、海外で料理人として働く方法について話している時でした。 海外で料理人として働きたい人にとっては、調理師免許など、どういった資格が必要なのか気になるようですので、わかる範囲で説明いたします。 先ず、日本で飲食店を開業する際に調理師免許もしくは調理師免許を取得している人が必要かどうかという初歩的な話をさせて頂きますと、ご存知の方も多いかと思いますが必要がありません。どこどこの高級料亭の板さんが調理師免許を取得していないと言うことも有り得る話です。しかし、日本で飲食店を開業するにあたり、保健所で講習を受けて「食品衛生責任者」と言う資格を取得する必要があります。 「じゃあ調理師免許は何なの?」と思われる人がいるかと思います。それは食品衛生責任者の上位資格だと考えて頂いても問題ありません。(厳密には違いますが) で、タイトルにある「ベトナムの日系レストランで働くには調理師免許は必要ない」についてお話をします。 「なぜ必要ないのか?」と言うと、料理人の免許が国家資格としてある国というのが世界的に見ても珍しいためで、料理人は免許など持っていなくても当たり前だと思われており、問題ないことが挙げられます。 しかし日本の調理師免許取得条件に2年以上の実務経験があることから、ベトナムでは日本の調理師免許を取得していれば就労ビザを取りやすいと言う側面があります。そのため、調理師免許は必要ないが、取得していれば尚良いと言うことになります。 就労ビザの話が出たので、簡単に就労ビザについて話します。ベトナムで働くには就労ビザが必要になります。就労ビザの取得条件に大学卒業以上で実務経験3年以上、もしくは1年以上の訓練と実務経験3年以上というのが有ります。大学を卒業していれば、調理師免許の取得が必要条件になりませんが、大学を卒業していなければ調理師免許取得があるに越したことがありません。 ベトナムのように働く際に就労ビザ取得が必要で、取得条件が厳しい国で仕事をする場合は調理師免許を持っていれば何かと便利です。 就労ビザの側面から言うと調理師免許はあった方が良いのですが、採用時に問われるのは調理師免許の有無ではなく経験と技術です。日本と違って海外では、調理場に自分以外の日本人がいないことがよくあります。なので、経験がなくては、何かあった時の対応が出来ません。また技術がないと、現地スタッフに教えることが出来ません。 このことからベトナムや海外で料理人として働くには調理師免許よりも経験や技術が必要ということです。 実際、私が今の日系レストランに勤める前に、弊社を含めて3社面接を行っていただきました。その中で履歴書に記載しているから調理師免許の有無を確認されましたが、コピーですら提出をするように言われたことはありませんでした。また募集条件に”調理師免許”というものもありませんでした。 (就職が決まってから、就労ビザを取得する際に大学卒業証明と一緒に提示はしましたが)

ハノイの日系レストランに働き始めた同僚へのインタビュー

私が働いている日系レストランに新しく25歳の女性ホールスタッフが入って来ました。私がブログでベトナムの飲食店で働きたい人向けに情報を載せていることを伝えたところ、快くインタビューに答えてくれました。 ベトナムで働くことを選んだきっかけは? 高校3年間と大学4年間を含めると約10年も接客業をしてきました。日本の接客業は常に相手のことを考える「おもてなし」精神がこもっています。それは凄く素晴らしいことだと常に感じておりました。大学を卒業してから入社した会社は大きな飲食店グループで、その中の日本料理屋を展開している部門に配属された時に多くの外国人のお客様を接客することがありました。その経験から海外の接客について学びたいと思い、英語力を向上させるために駅前留学を2年間行いました。目標にしていたTOEIC700を取れたので、前職を退職しました。 先ずは旅行で、お客様側の視点で接客サービスをみることにしました。アメリカ、イギリス、フランス、ヨーロッパ、マレーシア、シンガポール、ベトナムと渡り歩きました。ベトナムで今の会社の社長と知り合い、「日本の”おもてなし”精神をベトナムの人に伝えてもらえませんか」と口説かれ、働くことになりました。 そのため、人材紹介会社を使わず、求人サイトでもなく、直接での入社となりました。 ベトナムで働いて1ヶ月が経ちましたがいかがですか? 働き始めた時は、「教えるのって凄く難しい」と思い、悩む部分が多くありました。しかし、お客様から頂く「ありがとう」と笑顔に癒されています。また私がスタッフに教えていた”おもてなし”精神も徐々にスタッフへと伝わってきたようです。そうなってくると毎日が楽しくなってきました。 他には、働く前はベトナムの物価から考えると庶民的な値段ではないお店なので日本人しか来ないものだと思っていましたが、ベトナム人の方だけでなく欧米の方なども来られ、日本で勉強していた英語も役に立っています。 ベトナムで働いて問題はありますか? 日本の接客が全てサービスが良いとは限らないことがあります。例えば言葉の遣いやニュアンスの違いで丁寧なサービスのつもりが、相手を困惑させたり怒らせたりすることがあります。この件は、日本人では問題ないのですがベトナム人や欧米人の方になると問題になります。ここら辺は教えてもらえる人が居ないので手探りなので毎日勉強だと思い頑張っています。 問題ではないのですが、勉強になったことがあります。日本ではサービスをする場合、「”できません”とは言ってはいけない」と教わりましたが、こちらでは難しいことは「できません」ということもサービスだということがわかりました。 最後に何かありますか? 毎日、仕事のことばかりで、まだハノイについてはわからないことが多いです。もっとハノイ、ベトナムについて勉強して友達を増やしたいです。

経済学者は、ベトナムは米の輸出が過剰だと語る

経済開発コンサルティングセンター副部長のホアン ゴック フォン氏は、メコンデルタはベトナムから輸出する米の90%、海産物の60%、果物の70%を占めており、その規模はベトナム全体のGDPの18%になると語りました。 一方で、メコンデルタは大規模な開拓と貧弱な開発計画によるペナルティを支払わなければならない状況です。 フォン氏は、農業生産モデルを改善することで、デルタ開発の新たな道筋を見出す必要があると強調して、 「農民が米をどれだけ作っても豊かにならないのはなぜでしょうか。」と述べました。 フォン氏は、メコンデルタはその100万ヘクタールの稲作地を維持するためには、淡水を供給する必要があると考えています。 そのため、「農業は必ずしも米の栽培を意味するものではないので、稲作の面積を妥当な水準まで減らすほうがよいでしょう。国にとっては大きな投資となりますが、農家は利益が出ない以上、低価格で輸出される米製品のためにわざわざ稲作を続けることはできないです。」と述べました。 フォン氏は、塩水の侵入を食い止めるのではなく、メコンデルタは塩水に適応すべきだと考えており、実際に多くの地域では、塩水の侵入に適応した生産方法を導入しています。これまで1年に2回収穫をしていた稲作地を、収穫を1回に減らし、代わりにエビや魚を養殖するのです。 著名な農業専門家であるボー トン スアン氏も、多くの水を必要としない作物の栽培に転換すべきと考えており、 「ベトナム国内の米の需要は約1800万トン程度なので、稲作はもはや最優先事項ではないはずです。これに加えて、200万トンもあれば十分でしょう。」と述べました。 加えて、地下水の過剰採取を要因としたメコンデルタの深刻な地盤沈下について懸念を示しました。沿岸部では、田んぼを灌漑するために地下水が使用されており、1トンを収穫するために4,500リットルの水が必要となります。 また、スアン氏はベトナムの食糧安全を保障するためには、メコンデルタでは、150万ヘクタールの稲作地で3期作ではなく2期作をするだけで十分だと説明し、 「我々が米を作れば作るほど、米は過剰になります。過剰供給は価格低下につながり、結果として農家は利益を得ることができないのです。」と述べました。 ベトナム食糧協会(VFA)によると、ベトナムは9月に2億1,000万ドル相当となる466,000トンの米を輸出し、1月からの9ヶ月間の累計は20.2億ドル相当となる457万トンとなりました。 VFAは、2017年の輸出量は560万トンに達すると予測しました。

ベトナムにおける台所の伝統(1)食物と歴史の融合

「それは私の祖母から始まった。彼女は旅行するのが大好きだった。」 小さくて混雑した部屋で、母と娘が聴衆に面して座っていました。ビバリーヒルズのクラスタシアンのベトナム人料理長であるヘレン アンが立ち上がりました。娘のジャクリーン アンはヘレンの隣に座っていました。カリフォルニア大学のラングソン図書館では東南アジアに関する記録保存の30周年を祝っていました。ジャクリーンは家族のレストランの起源に関する話をしました。 「ヘレンは1971年にサンフランシスコに行きました。」とジャクリーンは語りました。 「当時は戦争中でした。」 「1969年ですよ。」とヘレンは耳打ちしました。 「そうそう、ヘレンは1969年に来て、1971年にレストランをオープンしました。」とジャクリーンは語りました。群衆は、母親が娘にした穏やかで誇りに満ちた耳打ちを笑いました。ストーリーは最初から最後まで、正しく話さなければなりません。結局、それはヘレンに、そしてジャクリーンと彼女の姉妹に、そしておそらく最終的には彼女の子供たちに話し継がれることです。この物語は、アンの家族の生活を変えた日を伝えるものです。 部屋には、ニンニクの微妙な香りが空気を漂っていました。各テーブルには、ミントの仲間の緑色と紫色のベニラミスの葉が飾られていました。これらの葉の横には、ヘレンとジャクリーンが提供したガーリックヌードルが入っていた空のプレートがありました。 ママと呼ばれることを望んだヘレンは、融合の母と呼ばれます。ヘレンは伝統的なベトナム料理にフランス料理やアメリカ料理などの異なる料理を組み合わせたことで知られています 1971年7月に最初のレストラン「タンロン」(グリーン・ドラゴン)をオープンし、アン・ファミリーはアメリカ人の舌を虜にしました。成功の後、さらに4軒のレストランをオープンしました。1991年に、サンフランシスコで2軒目のレストラン「クラスタシアン」を出店しました。1997年にビバリーヒルズに2軒目のクラスタシアンを開店しました。2009年にアンクイをコスタメサにオープンし、2010年にサンタモニカで庭園風カフェのティアトをオープンしました。ゼロからレストランを設立し、4軒以上も展開した40年で沢山の舌を魅了してきました。 ジャクリーンがキッチンに入ると、きれいで清々しいレモングラスの柑橘系の香りが鼻に届き、今はもう戻ることができない伝統的なベトナムが息づきます。ベトナムの記憶とベトナムが独立し、国として生き残るための気高い戦いは、ママ自身が料理人になる旅の始まりに心に刻んだもので、今度発売されるベトナム家庭のレシピ(An: To Eat: Recipes and Stories from a Vietnamese …

栄養サプリメントは本当に必要か

ラオドン紙(労働新聞)は、国立栄養研究所の臨床栄養学科のグエン チョン フン教授に、子供の栄養サプリメントの摂取について話を聞きました。 ベトナムでの子供に対する栄養サプリメントの使用についてどう考えますか? 栄養サプリメントはベトナムではとても人気があり、過剰な広告で販売促進をしているケースもあり、それを信じて子供に与える親も沢山います。国産品でも輸入品でもドラッグストアや子供用品店、インターネットで簡単に購入できるので、サプリメントを与えすぎてしまうこともあります。 また、医者の指導を受けずにサプリメントを使用するケースも多く、初めは効果があっても、時間と共に効き目が薄れていくため、使用量が増加してしまう危険性もあります。 最近、国立栄養研究所で診察を受ける親子が増えていますが、その理由は、幼少期からの効果的な栄養摂取により成長を促したい人や、サプリメントが効かないので相談に訪れる人など様々です。 ベトナムでは、医者からの指導を受けずに自己判断で薬品や栄養補助食品を購入し、摂取することが一般化しているため、トラブルが絶えない状況なのです。 栄養サプリメントは薬品ではないので、医師からの処方は必要が無いのではないでしょうか? 通常はサプリメントに医師の処方は必要ありませんが、子供に健康上の問題がある場合は医師の助言に沿った処方が不可欠です。多くのサプリメントには複数の栄養成分や微量栄養素が含まれますが、子供によっては特定の栄養素だけが不足している場合もあり、複数の微量栄養素をまとめて与えることが悪影響に繋がることもあります。 微量栄養素が不足している子供に栄養サプリメントが有効に働く場合もありますが、適切な量と頻度で摂取して、それでも効果が得られない場合、または、何らかの問題を引き起こす場合は、医師に相談する必要があります。 栄養サプリメントのを過剰に摂取すると、どのような害があるのでしょうか? 例えば、ビタミンサプリメントの有効成分量はビタミンの水や脂質への溶解量で決まります。水溶性ビタミンの場合、水に溶けて体内から排出することができますが、脂溶性ビタミンを過剰摂取すると肝臓に蓄積して中毒症状になることがあります。 サプリメントに起因するトラブルは、食品による健康問題と同様に、短期的には無害でも、長期的な摂取が害を及ぼすことがありますが、人によってサプリメントへの反応は異なるので、不適切な摂取による有害性を確実に検証するのは難しいのが実情です。 どのような場合サプリメントを摂取したらよいのでしょうか? 原則としてサプリメントを摂取する必要はありませんが、毎日の食生活で十分に栄養を摂取できない場合にはサプリメントの使用を検討して下さい。微量栄養素やビタミンは自然食品に豊富に含まれているので、適切な食生活をしていればサプリメントが無くても健康上のリスクを減らすことができます。

伝統と共に生きるベトナムのライスペーパー職人

ライスペーパーは生のままの魚を巻いたり、豚肉を巻いて揚げたり、火で炙ってクラッカーのように酒のつまみにする等、様々な調理法でベトナムの北部から南部までどこでも食べることができる定番の食材です。 そして、調理法に限らず、ほとんどのベトナム人は手作りのライスペーパーを好みます。 カントー省南部の路上屋台で、「工場で作ったものより絶対に美味しいから食べてみて?」とグエン ティ フエさんは私に焼きたてのココナッツ味のライスペーパーを勧めました。 フエさんは近くのトゥアン フン村で「バインチャン」と呼ばれるライスペーパーの生産者で、彼女のライスペーパーは昔から「ベトナムの米蔵」と呼ばれるメコンデルタで最高級品として知られています。 工場でもエビ塩やココナッツ、ドリアンなどの様々な味のライスペーパーを生産していますが、今でも手作りのライスペーパーを生産して生活している家族がいます。 「お客さんは村の手作りのライスペーパーを好みます。私たちが生産するライスペーパーは化学調味料を使用していない自然食品です。」とトゥアン フン村のライスペーパー生産者で3代目となるブイ ミン フィ氏は語りました。 フィ氏はライスペーパーの販売で1日に65ドルの収入があり、忙しい旧正月の時期には2倍稼ぐこともあります。 ベトナムでは、祖母が作ったようなフォー(麺)やバインミー(サンドイッチ)といった家庭料理を提供するファーストフード店は好ましく思われていません。 ライスペーパー生産は、ハ ティ サウ氏のような人々にとっては家族で引き継いでいく技術伝承が課題です。 最近、サウ氏は叔母から学んだ昔ながらの技術を娘を教えました。竹のマットで干す前に秘密のレシピで作った甘い生地を平たい皿に広げます。 家族全員で操業をしているので、83歳の母親が川岸で食器を洗う間、サウ女史の義理の息子は籾殻で火を起こします。 村は、以前は荒廃した田舎でしたが、今では流行りのカフェや携帯電話ショップといった店舗が軒を連ねており、他の職業も選べますが、サウ氏はライスペーパー生産を手放す気はありません。 …

ハノイの日系レストランで働いたきっかけ

私が、ハノイの日系レストランで働き始めたきっかけについて聞かれることがあるので説明いたします。 私が、初めてベトナムへやってきたのは今から10年前になります。その時は大学生で毎年夏休みを使ってバックパッカーとして旅をしていた時でした。確か、ベトナムへ来た時は大学3年生だったので21歳でした。 その時のルートは、マレーシアまで飛行機で渡り、マレーシア・タイ・カンボジア・ベトナム・中国を陸路で移動して最後に飛行機で日本へ帰るという途中で寄っただけでした。なので、どこに行っても発展途上と言う感じを受け取り、のどかだとか、田舎っぽいと言う印象しか受けませんでした。 2回目に訪れたのは、大学を半年遅れて卒業したので内定が決まった会社に就職するまで半年空いてしまい、日本よりもお金を使わなくて過ごせる暖かいところと言う理由だけでベトナムにやってきて、バックパッカー街のドミトリーと同じ値段で滞在出来るホテルをホーチミン郊外で見つけ3ヶ月滞在しました。 日本に帰ってから就職した先が、まさかのブラック企業。朝7時に出勤し夜は終電で帰るという毎日を過ごしていました。仕事は辛かっらのですが、同僚や上司が良い人ばかりで頑張っていたのですが、3年目の冬に慢性疲労からくる病気を患ってしまい2週間会社を休むことになりました。このせいか、3月にクビを宣告され4月から無職になってしまいました。 大学時代以来の飲食店(焼き鳥居酒屋)でホールスタッフとしてアルバイトしていると、ひょんなことからキッチンに入ることになりました。そこから、飲食店での調理師として働くことが楽しくなり、調理師免許の取得にまで至りました。 そんな中、働いていた居酒屋グループが東南アジア(シンガポール・カンボジア)に立て続けに進出したことを機に私はカンボジアへと赴任になりました。2年間でカンボジアの店舗を立ち上げると、まさかの帰任命令があり、それを断りました。引き継ぎなどで半年ほど働いてから退職しました。 その後は、カンボジアだけでなくタイやベトナムの人材紹介会社へ登録し、タイとベトナムの人材紹介会社より返事があり、それぞれ面接をしてもらい、結果的に給料と待遇が良かったハノイにある日系レストランでキッチンマネージャーとして働き始めました。 働き始めてから1年ですが、表に出ることがないので日本人の知り合いは僅かですが、ベトナム人の友人はたくさん出来ました。また飲食店ということもあり、土日などの休みは取得出来ませんが、営業時間以外は自由にさせて頂いているので、みんなの日本語を使って従業員(社員やアルバイト)への日本語指導を行なっています。カンボジアと比べて、便利なのでベトナム ハノイで転職して良かったと思います。

世界で稼ぐ日本のお菓子ブランド②

海外でポッキーファンが拡大しています。現在、江崎グリコは海外30カ国で年間2億箱のポッキーを販売しています。ハイチューと同様に、ポッキーも日本人向けに開発されました。西洋のチョコレートとクッキーをベースにしたポッキーは、2つの素材の組み合わせにより、いろいろな食べ方ができるように工夫しました。 ポッキーの海外戦略は、拡販活動の現地化を進めることです。同社は東南アジア各国で人が集まる場所をターゲットに、ポッキーを楽しいときに食べるイメージの「シェア ハッピネス 」というコンセプトで製品を販売しています。タイでは、ショッピングモールがターゲットですが、大規模な商業施設が少ないベトナムでは、映画館での販売を強化しています。いずれも若い男女が集まって楽しむ場所です。インドネシアでは学校が重要な流通チャンネルで、企業はキャンパスでのアピールを重視しています。インドネシアでヒットした女性アイドルのJKT48をイメージした派手な赤色の宣伝車は、ポッキーのコマーシャルにも使用され、無料のサンプルを配布するために定期的に中学校と高校を訪れます。グリコは早い時期からポッキーファンを獲得するためこういった方法を取り入れています。 グリコはまた、イスラム諸国向けにも現地のニーズを捉えたマーケティング戦略を実行しています。ラマダン月の昼間はイスラム教徒にとって断食の時間ですが、日没後は友人や家族が集まり、深夜まで食事と買い物を楽しみます。グリコは、イスラム教徒の人々が大切にするラマダンの幸福を共有するアイテムとしてポッキーを定着させたいと考えています。グリコが断食後に食べるスナックとして定着すれば、中東だけでなく広範なイスラム社会での大きなヒット商品になるかもれません。 海外で成功した日本のスナックには以下の共通点があります。 1.日本の独特な商品で、外国で似たような製品はありません。 2.現地の味覚や好みに合わせて味を開発しています。 3.パッケージのサイズは、現地の習慣と文化に対応しています。 4.価格は、地域の経済情勢を反映するのではなく、ブランドの魅力を高めるために設定されています。 5.宣伝活動は、現地の習慣、文化、宗教に配慮します。 6.人材は、外国での事業運営に精通し、価格設定と拡販計画を迅速に実行します。 日本企業は、日本独特の商品を開発するために外国の文化や食べ物を取り込み、組み合わせることを得意としています。海外での成功の可能性が高い製品以外にも、日本には多くの独自の製品が存在するものと思います。。 人材に関しては、多くのスナック菓子メーカーは、社内に適切な人材が少ないので、商社や消費財メーカーでの外国業務経験者を採用していますが、将来的には社内で必要な人材育成をしていく必要があります。 多様な人材を確保することは、日本独特の製品を外国市場で販売する上で不可欠です。日本の「ガラパゴス」製品には多くのビジネスチャンスがあり、グローバルなビジネス人材と組み合わせて、世界に引っ張り出してあげる必要があります。

世界で稼ぐ日本のお菓子ブランド①

11月11日はポッキー&プリッツの日です。認識レベルとしては、プリッツよりもポッキーなので、ポッキーの日と覚えている人の方が多いと思います。出身が大阪とはいえ、江崎グリコさんから何も頂いていませんが、昨日の仕事終わり(1時過ぎ)にスタッフ全員にポッキーを配りました。ベトナム人スタッフは「日本のお菓子だ」くらいにしか感じていなかったようですが、念のため「今日はポッキーの日だよ」なんて何度か言っておきました。 そんな感じで今日は日本のお菓子についてお話しします。 日本で独自に開発された、いわゆる「ガラパゴス」スナックは、世界中のファンを魅了しています。菓子メーカーは、国籍、民族、宗教の違いに合わせて味や販売戦略を変えることで、海外で成功を収めています。 日本の菓子ブランドがバンコクでプレゼンスを確立しています。東南アジアの主要都市の一つであるタイの首都バンコクのスーパーマーケットを訪れれば、棚に占める日本のお菓子の量に驚くと思います。棚に陳列されているのは、グリコのポッキーとプリッツ、森永のハイチュー、カルビーのかっぱえびせん、湖池屋のカラムーチョ(ベトナムでも発売されました)などです。日本で親しまれているパッケージにタイ語で書かれたブランド名が、現地市場にどれだけ食い込んでいるかを証明しています。 日本のお菓子ファンが増えているのはタイだけではなく、シンガポール、台湾、香港、中国、インドネシア、北米、ヨーロッパ、中東などにも拡大しています。海外での日本のお菓子ブランドの成功要因について、森永ハイチューとグリコのポッキーを事例に説明します。 ハイチューは米国で現地化を進めたことで有名です。ハイチューは米国で驚くべき人気を誇っています。ハイチューは日本人の好みに合わせて開発された独特の触感が人気の「ガラパゴス」ブランドを象徴する製品です。ハイチューは、最初に野球のメジャーリーグでチャンスに出会いました。ボストン・レッドソックスの田澤選手が日本から持ってきたハイチューをチームメイトに与えたところ、選手たちはすぐにハイチューのファンになったので、森永は試食サンプルを提供するようになり、最終的にチームとスポンサー契約を締結するに至りました。 同社はその後もミネソタ ツインズ、シカゴ カブスとスポンサー契約をし、NBA(全米バスケットボール協会)のニューヨーク ニックスとも提携しましたハイチューの売上は順調に伸ばし、今では有名スーパーマーケットで定番品となりました。米国在住の日本人とアジア系米国人から人気がありますが、ラテン系米国人のファンも増えつつあります。 ハイチュー成功の秘訣とは、米国でのハイチューの人気はメジャーリーグによるものだけではなく、大きな要因は現地志向のマーケティング活動でした。まずは味に関して説明しますが、ハイチューの基本的な味のラインナップはイチゴ、ブドウ、青りんごです。米国では、これにブラックチェリーとマンゴーを加えました。マンゴー味は、急速に人口が増加しているラテン系米国人をターゲットに米国市場向けに特別に開発された味です。これと同じように中国ではミルクと桃味が販売されています。国、地域、民族の味覚に合わせてフレーバーを開発することで現地化を成功させているのです。 また、パッケージも重要です。米国では、ハイチューの500グラムパックが卸売チェーンのコストコでよく売れています。ホームパーティーを開催する米国人の習慣に対応した大型パックが開発されました。取りやすいように配列したハイチューバッグはパーティー参加者に人気です。 中国では、結婚パーティー用にさらに大きなパッケージで販売されています。逆に低所得層向けに7粒入りの小売パックも販売されています。インドネシアではさらに小さな3ピースパックを販売する計画もあります。森永は、ハイチューの価格をすべての消費者がアクセスできるように設定しようとしています。しかし、競争相手との価格競争を招き、ブランド価値を下げるほど安価にするのではなく、消費者が買いやすいように価格上限を設定したのです。 流通チャンネルは、海外市場参入で成功するための重要な決定要因です。ハイチューの場合、森永はセブンイレブンで試験販売するために最初は台湾の工場から米国に出荷しました。結果は成功で、森永はこれに続いて日系とアジア系のスーパーマーケット向けに流通を拡大しました。さらに消費者の肯定的な反応を確認して、全国のスーパーマーケットに拡大しました。2015年の夏からは米国での需要に応じて米国工場での製造を開始する予定です。森永は消費者にハイチューを米国のブランドと思ってもらうことを現地化の究極目標として設定し、ハイチューを海外市場での成功事例にしようと考えています。

冷涼なベトナムの高原での低コスト生活

私の友人であるアメリカ人のジョンがダラット移住したので、興味がありインタビューしました。 ジョンは、ワシントン州のオリンピア出身で63歳です。オートバイ愛好家で、2013年にベトナムでバイクを乗り回すためにやってきました。 彼は、初めて訪れたときから、ベトナムの中央高原のダラットに住みたいと思っていました。 「ダラットに移住した理由はベトナムで発見したアメリカ太平洋岸北西部に最も近い場所だからです。地形、樹木、気候が母国を思い出させてくれます。母国との唯一の違いは、ダラットの雨期は冬ではなく夏に来ることだけです。」と彼は言いました。しかし、違いはそれだけではありません。ダラットでは、ジョンが住んでいる4階建家屋の家賃353米ドルを含んでも母国の4分の1のコストで幸せな老後生活を送れます。 「休暇のために来ていた人の多くが移住を決意して、ダラットに住んでいますが、私も同じです。初めはダラットがとても美しい土地だと聞いて見に来ただけです。まず驚いたのが、食べ物がとても安くて美味しいことでした。そして、人々は友好的で、涼しい気候は快適でした。オリンピアに帰ってから1年と3日後にベトナムに戻り、ダラットに移住しました。」 熱狂的なバイク愛好家として、ヘルメットの着用が常識だと思っていましたが、最初のベトナム旅行で、ヘルメットを着用しない子供達と出会い、ヒヤヒヤしました。「ベトナムに移住する直前に不動産を売却して、得たお金でダラットの子供たちにヘルメットを寄付すると友人に言って回りました。結局、売却益は8,000米ドルほどになり、ヘルメットを購入するために寄付しました。ダラットの中でも貧しい学校を2校選び、すべての子供と、教師、校長、管理人を含む大人にヘルメットを寄付しました。合計で750個のヘルメットを寄付しました。 ジョンは地元の子供たちにヘルメットをプレゼントした「ベトナム人の心を持つアメリカ人」として地方役場に飾られている写真を誇りに思っており、その後もウェブサイトでヘルメットの大切さを伝えています。 ダラットの人口は約20万人で、そのうち外国人は約200人ほどですが、たくさんの西洋風のレストランや外国人向けのアクティビティがあるので簡単に友達を作れます。 「毎週金曜日の夜と毎月第1土曜日の午後に、外国人が集まるサークルがあります。会場は毎回違いますが、ダラットの外国人グループに入れば連絡を受けることができます。他にも外国人とベトナム人が参加しているオフロードバイクのサークルがFacebookを使って活動しています。」 その規模にもかかわらず、ダラットが持つ小さな町の雰囲気と強いコミュニティー意識をジョンは愛しています。 「交通事情も良く、10分程度あればどこへでも行けます。また、家族経営のお店もたくさんあって、何度か訪問すれば、店員さんはあなたの顔と欲しいものを覚えてくれます。昨年、私は病気になって5ヶ月間も外出ができない時期がありましたが、病後に外に出かけると、しばらく顔を合わせなかった人たちが復帰を祝ってくれました。」 ダラットは湿度の高いホーチミン市から北東に180マイル(約290キロ)ほどの距離ですが、標高が5,000フィート(約1,500メートル)あり、年中穏やかな気候です。町は丘陵で、山々、滝、松林に囲まれていて、昼間の年間平均気温は23℃ですが、夜間は14℃まで冷え込みます。散歩やサイクリングなどのアウトドア活動に適していて、町中に公園や湖、花園があります。活気のある都市とは言えませんが、平和と静けさを楽しむには理想的です。 「私は今、都会の活気とはかけ離れた生活をしています。バイクに乗って近所を走ったり、丘陵の散策を楽しみます。1時間以内の距離に滝が10か所もあり、市内から6マイル(10キロ)離れたチ マット村にはリン フック寺という素晴らしい寺院があります。そして、ほとんどの時間を、交通量の少ない小さなレストランやカフェでお茶を飲みながら、のんびりと暮らしています。」 ジョンは朝食は自宅で食べますが、昼食と夕食は外で食べます。ダラットでは安くて美味しい食べ物が簡単に見つかります。「ほとんどがベトナム料理で、近所に大好きなベジタリアンレストランがあります。コム カレーというカレー屋に行けば、カレーとご飯のセットがたったの88セントで、テーブルのお茶は無料です。1.1ドルも出せばチャーハンが食べられます。西洋料理を食べたいときには、一番好きなワン モア カフェに行きます。ガールフレンドと2人分で約11ドルですが、とても美味しいです。」 ジョンは仏教寺院の庭園の先にある広々として近代的な内装の家に住んでいます。家はベトナムの標準的な造りで、4階建の各階に1つの部屋があり、ヤシとユーカリを眺める窓と大きな2つのベッドルーム、近代的なキッチンが付いて、家賃は月353ドルです。「とても広々とした良い建物で、各部屋にプライバシーがあり、多くの好きなレストランやお店には徒歩で行けます。オリンピアであれば、月1,200ドルは払わなければなりません。」 …